鬼の出(いづる)ところ邪神出現

 

 

変わらずの風景を照らすまん丸な満月。おかげで周りがよく見える。先制攻撃とばかりにやってきた妖獣をいつものように蹴散らして地面に着地。ばらけた髪を手櫛で整え、身なりを正す。

どうでもいいレベルが相手だったが、魄の表情は少々草臥れているようだ。主たる鷹尾の傍にやってくると、5メートルという近距離にいる魁と雪菜に視線を這わす。魁はほんの少し作った笑顔を軽く浮かべて挑発しているようだし、雪菜は緊張に強張りつつも気力はたっぷりある様子だった。

草臥れの原因はこれだ。早速、その本家分家取替え合戦が開催されるようだ。

妖獣ですらめんどくさいから相手したくないのに、今度は魁を相手に奮闘しなければならない。それに、兄である彼の力は未知数。何をどう攻撃して、どう術を出すのか全く分からない。向こうもそうであれば良いと思うが…こればっかりは分からない。

「ねぇ、タカ。マジでやるの?気が向かないんだけどなぁ〜」

実の兄だからではなく、殺して罪悪感が占める相手とはなるべく戦いたくないという心情からの言葉だが、鷹尾はそう受け取らなかったようだ。

「何言ってんだ?相手もこっちの戦力を把握できていないだろう。出来ていても、恐れるに足りない」

「そりゃ、あんたは見てるだけだからいっけどさ〜」

戦うのはこっちだからしんどいのにな〜。と内心毒づくと、雪菜が声を上げた。

「では、行きますわ。お兄様!!」

声と共に魁がこっちへ駆け出した。魄も瞬間的に駆け出し、魁と正面衝突する形で接近する。

「烈火よ。我の呼び声に応じ姿を変化させよ!火炎放弾!」

「すい・わ・るい・けつ・さん・じゅう・るじ・う!ウォータープレス!!」

半属性の二つの技が至近距離で激突。むわっと白い蒸気が辺りに立ち込め、一瞬二人の姿を隠すが、それはあくまでも鷹尾と雪菜の二人のみ。術を出し合った鬼の二人はお互いの姿が影として認識されていた。お互い、動きや匂いから無傷だと推測される。

先に技を出したのは魄だ。

ザっと地面を滑るように避けた後、魁に向かって詠唱を行う。

「すい・わ・るい・けつ・さん・じゅう・るじ・う!ウォータープレス!!」

莫大な水量が一直線に飛び魁を襲うが

「烈火よ。我の呼び声に応じ姿を変化させよ!火炎放弾!」

あっさり相殺された。

ひゅう〜と魄は口笛を吹いた。どうやら術の威力は同じくらいだと思える。もちろん、魁も魄も本気で戦っていないだろうが、それでもやや魄の方が優勢に見える。それは詠唱の時間差。彼女のほうが若干早い。

「すい・わ・るい・けつ・さん・じゅう・るじ・う!ウォータープレス!!」

「見切った!」

魁は魄の懐に入り込む。彼女の放った術は彼の遥か後方を進んでいた。完全に術を見切っている……が、魄に焦りの色は全くなかった。寧ろ、こちらの方が得意分野だ。みぞおちに来た拳を軽いステップで避け、逆にわき腹を狙う。魁は回避された事に気づいた瞬間に体勢を魄の方へ向け、わき腹を腕でガードする。勢いと衝撃を後方にジャンプすることによって減らすが、それは魄も良くやる手。素早くジャンプで追いかけつつ、詠唱。

「すい・は・さん・じゅう・は!ポン!!」

「ぐ!」

あまりの短い距離に、避ける反応すら間に合わず、魁の顔面に水の玉が跳ね当たる。まるでバスケットボールに顔面を強打したような状態だ。

彼にダメージはあまりないだろうが、それでも一瞬の隙を与えることが出来る。そこを狙うのだ。

魄は地面に着地すると同時に、目を開きかけた魁の正中線上に鼻、首、胸、みぞおち、股間と五箇所を殴った。

「ぐあ!?」

完全に決まり、魁は膝を地面につける。同時に水蒸気の霧が晴れた。鷹尾と雪菜は同時に一瞬の出来事を理解する。

鷹尾は「おお、勝ってるな〜」とのんきに声を出し、雪菜は「魁!!」と、かなきり声を上げながら詠唱を始めた。

「天津の星の音色と満ちる月における至上の光よ。生命溢れるかの者を救い上げよ。衰弱を弱め、癒しを与えたまえ、汝、雪菜がその命を下す。回復(ヒール)!」

暖かい光が魁の頭上に現れ、すぐに体全体を包み込む。明らかに回復しているが、魄は狼狽も悲観も出さずに軽い足取りで魁から間合いを取った。やや鷹尾よりに移動すると魁を見据えつつ両手を胸の前で組む。後ろから呆れたような声が聞こえた。

「やれやれ、放っておいていいのか?明らかに回復してるぞ?」

「分かってるわよ。でも…元々『戦う』のあんま得意じゃないし、相手が相手だし」

回復させる前に攻撃する手もあるが、そこまでするほど恨んではいない。そこまでする時は、相手を殺す気で行う。

「それに、タカだって“そうするような意思”がないでしょ?」

仮に、魄が本気で戦いたくなくとも、術者、つまり鷹尾が殺るよう命じる、もしくは強く願った場合、魄の意思とは関係なしに体がそのように動く。まだ彼女がこうして相手の体調を気遣うことができるのも、わざわざ回復するのを待つ時間をもてるのも、鷹尾がそう望んでいる節があるためだ。

鷹尾は「やれやれ」と口癖を吐きつつ、魁を見やった。

「その点はお前に任してるからどうでもいい。ただし、余裕ぶっこいて負けることは許さないぞ」

「はいはい」

返事をするのと、魁が立ち上がるのが同時だった。彼は雪菜に軽く礼を言いながら魄を見据える。彼の顔からは多少の苛立ちが見て取れた。

「なんだ?あの妙な言葉は…」

独り言のようなので、魄は無視した。言ったところで相手が利用するに決まっている。まぁ、それでも多少慣れるのに時間を要するだろうが、魁ならできそうだ。それに、自分の考えた技を勝手に使われると気に入らない。

「魁!私もサポートにつくわ!頑張って!」

魁のダメージによほど腹が立ったのだろう、雪菜は最初よりも数倍重圧のある気迫を体全体から出している。それを見て魁は少し寂しそうな表情を一瞬浮かべるが、何もいわなかった。

魄は二人のやり取りを見て、振り返らないものの、たっぷりと嫌味を込めて鷹尾に呼びかけた。

「向こうはほんっと鬼思いだこと。こっちのぐうたら術者に爪の垢でも飲ませたいわねぇ」

「あれはあれ。俺は俺。以上」

予想通りの言葉が帰ってきて魄は「鬼使いが粗いったらありゃしない」とぶつぶつ文句を言いながら、魁を見据える。先ほどと打って変わってやる気満々だ。下手をするとこちらの命がない。そう思えるほど研ぎ澄まされた威圧を周囲に漂わせていた。

それを見ながら鷹尾はいつも通り一言だけ付け加える。

「一切手ぇ出さないから適当にやれ。1対2でも負けることは許さないからな」

「あ゛いあ゛い…少しは加勢してよね。全く」

不満を言いつつも、鷹尾がそう言ったなら本当に手伝ってはくれない。魄は先ほど以上に気を引き締めて魁と、そして雪菜を睨みつけた。

流石に二人相手では少々厳しい。魄は気を引き締めると逆流しそうなほど、力を体中に巡らせる。

「はぁぁぁぁぁぁ」

力を極限まで貯め、魄は魁へと一直線に向かった。

「すい・わ・るい・けつ・さん・じゅう・るじ・う!ウォータープレス!!」

魁の懐に入る前に術を発動させる。左へ飛ぶようにやや右寄りに水をうねらす。魁はひらりと紙一重で避ける。先ほどより動きがいい。回復術、もしかしたらスピードUPも兼ねているかもしれない…と考えて、違うと思い直した。多分、彼自身が見切ったのだろう。

反撃するように、魁が体を動かす。

「あまねく光の渦よ。流れ消え逝く儚い光よ……」

雪菜の詠唱が始まったなと、確認する。魁の組み手を払いのけながら魄はちらっと、魁にばれない程度に視線を動かし雪菜を視界に入れた。

魁が左拳を魄の顔面へと伸ばした。顔をぐちゃぐちゃにするぐらいの威力がありそうだ。顔だけ左に避け、彼の開いたわき腹目掛け、詠唱をする。

「すい・は・さん・じゅう・は!ポン!!」

水の玉が弾ける。が、魁は素早く左手で庇うようにわき腹へ動かし致命傷を避けた。それでも魄は水の玉が出た直後、すぐ詠唱を繰り返す。

「すい・は・さん・じゅう・は!ポン!!ダブル」

ボン!と魁に二つの水の玉が連続で当たる。しかし、ガードしているので威力はないだろうが、彼を移動させることはできる。

「そんな小技きかねぇ!!」

威嚇のように口を大きく開けながら、彼は早口で詠唱を行う。

「烈火よ。我の呼び声に応じ姿を変化させよ!…」

「すい・は・さん・じゅう・は!ポン!!ダブル」

魁はさっとほんの少し身を翻して二つの水の玉を回避する。詠唱中は別の言葉を上げると中断されるので一からやり直しになる。念のため、避けたが…同じ技を繰り返す魄に内心訝しがっていた。何かを狙っているのか?そう思ったと同時に

「きゃぁぁぁぁあ!!」

背後から、それも魁のほぼ後方数メートルの辺りから雪菜の悲鳴が聞こえ、魁は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ詠唱への意識が途切れた。その隙に、魄は素早く詠唱を行う。

「水、我の流し血脈に従い、汝が我に従うならば、その力破壊をもって示せ、その姿麗しくその姿愛しく、全てに等しく空虚をなす事を…その姿を蛇に変え、我に対する敵に向かえ!」

魄の周りから、ホース口から吹き出る水のように何本もの水の塊が徐々にうねりを上げる。滅多に使わない、部類でいえば必殺技だ。

魁はギョッとしてすぐに意識を詠唱へと戻すが、今の唱えている術では叶わないと悟ったのか、別の詠唱を行う。

「烈火よ…」

「リバース、エンド!」

だが、魄が早い。

詠唱の間もなく、魁は水に飲み込まれ、もまれた。それは激流の中に放り込まれたような凄まじい勢いだった。一瞬意識が遠のいて…

魄は手を素早く切るように振り下ろすと、魁の周りに取り巻いていた水が一瞬で散った。水流の流れによって宙に浮いた体がどさっと地面に倒れ、激しく咳き込むのを見て、魄はほっとする。

ツカツカと歩きながら魁を見下ろしてにっこり笑った。

「勝負あり。ってことでよろしい?」

「…げほ。雪菜は…」

「あっち。ちょっと詠唱を中断してもらうためだから、体には当ててないよ」

魁はばっと体を起こして雪菜の方を見る。彼女は腰を抜かしているが、怪我はしていないようだ。投げ出している足元の少し手前の地面が抉れている。あそこに水の玉が激突したようだ。それで驚いて腰を抜かしているらしい。

「あ…、魁…」

ずぶ濡れの魁と目が合って、雪菜は目から涙を流し始める。怖かったのか、魁の無事が嬉しかったのか、悔し涙か…それは魄には分からない。

「…雪菜…無事でよかった」

心底ほっとする魁を見て、魄は肩をすくめながら鷹尾を見た。彼は大あくびをして首をコキコキ鳴らしている。

「ちょーっと。そこ、いい気なモンね。こっちはへとへとのよろよろなのに」

「二回戦やるからだ。勝負は一度でつけるものだろ?」

言いながら近づいてくる。魄も近づきながら不満をぶつける。

「なによ。ケチつけよってゆーの?」

「別に。お前に任せるって決めてたし。それに…」

鷹尾はお互いの無事を確認しあう魁と雪菜の姿を感慨深そうに見ながら、羨ましそうな視線を向ける。

「あのままじゃ、第三回戦突入するんじゃないか?」

「別にそれでもいいよ。今日でなければ…あれらがうろうろしてくれたら、私に向かってくる妖獣がほんの少し減るかもしれないし」

本気でいうと、鷹尾が呆れた。呆れた言葉を放とうとしたが、雪菜に声をかけられ口をつむぐ。振り返ると二人はゆっくりとした足取りで鷹尾に近づき、距離を持って立ち止まった。

「お兄様」

「なんだ?」

「私が愚かでした。自分の力量も考えずに、勝負を持ち出してしまい。真に申し訳ありません。以後、自分の立場に満足し、慎みのある生活を送りたいと思います」

「雪菜がそれでいいなら別にいいが…一ヶ月の暗黒月バトルはまだ始まったばかりだ。また挑戦したくなったらいつでも連絡しろ」

「あんたはいっつもそー、無責任な事を言うわね〜。自分が第三バトル設定してるじゃん」

諦めたような口調で睨む魄に鷹尾ではなく、雪菜の方が戸惑った。

「ですよね。だから」

「だが、俺はもう一度お前と戦いたい」

敗北宣言を行おうとした雪菜の言葉を遮って、魁が魄に言った。雪菜は「魁…」と呟くように彼の服を引っ張るので、魁は少しだけ雪菜に頭を下げて許しを述べる。

「申し訳ない。だが、俺はもっと強くなりたい。同じ鬼である彼女がどうしてあそこまで強くなっているのか…勝負とは関係なく、共に学んでみたいのだ」

「それは…」

「どうか。もう少しだけ、里に帰るのを伸ばしてもらえないだろうか?」

「………」

黙った雪菜を魁は懇願するようにじっと見つめている。なんだか微妙にラブラブっぽいムードを感じ取って、鷹尾が口癖を呟いた。

「俺も彼女欲しー…」

「勝手に作れ」

魄もそう短くツッコミを入れると、気は引けるが二人の間に割り込んで話を続ける。

「学ぶうんぬんかんぬんはともかく、私も魁にちょっと言わなきゃならない事があるから……その時間は頂けると嬉しいな」

「いわなきゃならないこと?」

聞き返したのは鷹尾である。難しそうな表情をして魁と魄を交互に見ながら、なぁんとなく何かに気づいたような表情になる。魄は「まぁね」と軽く返事して雪菜に時間を聞こうとして…

 

!!!?

 

四人同時に体を強張らせ、背筋いっぱいに緊張感を走らせた。

澄み切った夜空が、いつの間にか真っ黒い雲に覆われている。いや、あれは雲ではなく、大量の邪気だ。澄んでいた大気にどす黒い嫌なねっとりした念がじわりじわりと染み渡ってくる。

明らかに、妖獣とはレベルが違う『何かが』実態を成そうとしていた。

「あ、あれは!?」

魄が指差す方向から、真っ黒ぬめっとした二足歩行の生き物が雲の中からゆっくりと出てきた。真っ黒い体。筋肉質だがしなやかな体。大きな角が額と後頭部に一本ずつ。細い腕だが手首からは巨大になって鋭い爪がよく見える。足は太く、筋肉で膨張しているようだ。目を瞑っているのか黒めなのか、顔の確認は取れない。黒い邪気を取り込みながら体を構成しているようだった。

「ああ、そうか・・・。暗黒月…そして、今日は満月だったな。その上、ここに鬼が二匹そろっているとなると…なるほどねぇ」

突然の出来事にびっくりして凝視している中、鷹尾だけがうめく様に苦笑を浮かべていた。