鬼食(しょく)し 選ばれた術者

 

夜が明ける少し前の時間帯に、深い山林を走り抜ける黒い影がある。やや明るくなり始めている光に当たるその影の体長は250センチと大柄以上の体格。四肢があり、人の形をしているが、その姿は真っ黒。体毛すら生えていないまっさらな筋肉質の体は明らかに人間とは一線を引いていた。さらに際立つ角が頭部から突き出て、それが一目で鬼と分かるいでたちをしている。影鬼と呼ばれている鬼は、まるでその先に目標があると分かっている風に力強く地面を蹴り上げ、風の如く疾走していた。

人の目には捉えきれない速度で駆ける鬼の跡を、同じ速さで追っている人物がいる。

1人は女、右の顔から手足に青く浮き出た模様がある。彼女が抱えているのは自分よりも体格の良い、細身の男。彼、鷹尾はお姫様抱っこという形で抱きかかえられ、護られるような形で女、こと、魄にしがみついていた。

「ってかさ〜。この方角って、タカの親戚がいる方向じゃない?」

鬼である魄は息一つ乱れることなく、影鬼を追いかけながら、主の鷹尾に呼びかけた。彼は風速により若干息苦しさを訴えるような、少々苦虫を潰したような表情になりながら頷く。

「ああ、雪菜。切林一族の村がある」

魄と鷹尾の家は、山の奥の高台近い場所にある。彼らがいる場所は街に位置するが、彼らが住んでいる場所は完全に山の斜面、町の一番端っこに建てられている。そこから東にある山を三つ越えた所に人口80人ほどの過疎した村があり、そこに鷹尾の親戚が住んでいる。山に囲まれているので、村と外とを行き来する路が小さな道路一本しかない。高速道路を使えば三時間ちょいで行ける場所だが、山を突っ切るとなると、迂回する道路に比べて直線になるから、距離で言えば近いだろうが……車も走れない路なので普通の人では丸1日以上かかる。

だが、鬼である魄にとってこの距離は大した事ではない。基礎体力が人間とはあまりにも違いすぎているため、散歩程度の体力で済んでしまう。それに、昔から山で修行という遊びをしていた。この辺の山の地理は完璧に覚えている上に、今前方には邪気満載の影鬼がある。万が一にも、見失うことはない。

「村に入るのかな?」

「間違いなく、次に狙うのは雪菜の姉、刻紅(こくべに)さんだ」

「また、けったいなお名前ですねぇ〜」

「彼女は術者として二流以下だが、鬼という使役に対してかなり独占欲が強かったからな」

「へぇ〜。そーなんだ」

興味なさそうに言うと、鷹尾は呆れるように魄を見る。

「覚えてないのか?一度お前も会ったことあるんだぞ?」

「は?全くもって覚えてないんですけど……?」

「そっか…なら別に構わないさ。で、その時に彼女の使役に対する熱意というか…憧れと言うか…願望が凄くて、ある意味怖かったなぁ…だから、絶対彼女が狙われる。だとしたら。一番最悪だ……操られる可能性が高い。欲している分、付け入られる隙はいくらでもあるだろうし…俺、正直、刻紅さん気に入らないから関わりたくねぇなぁ……はー…」

毒液を一気飲みしたような表情をする鷹尾に、魄は「ふぅ〜ん」と生返事を返しながら岩をジャンプして谷を一歩で越える。着地して、二つ目の山を越え終わると、気になる事を思い出したか、唐突に声をだす。

「……そういえば、影鬼はなんで村に…、そう、人間なんてほかにもいるのに、どうして、町の人間に見向きもせず、こんな村まで……術者に向かうんだろう?」

「力が欲しいからだろう。アイツらは憑いた人間の精神的闇の深さを好むのは知っているな」

「うんうん、それはもちろん。でも、なんでこう、際立った人間選んでいるんだろー…タカの読みどおり術者なら、退治される可能性の方が高いのに?」

「ああ。闇以外にも、鬼の知識、たとえば…妖獣に対する術、封印や結界、攻撃とかエトセトラ。そんなのが使える人間は、魄の言うように、鬼にとって脅威だが、逆に鬼が自由に扱えるようになると、その力が鬼に宿る。知識のみでも、他の敵に対する交戦パターンが無限に広がるから、なるべく闇が深く、強い人間を好むんだ。しかも、影鬼はそれを的確に得る力を持っている。術者において一番厄介な敵なんだよ。あいつら…」

「なるほどね〜。だから、影鬼は私達じゃなくって、いっつもタカの一族を狙うんだ。…だからあれらが口を酸っぱくして注意するように言ってたのね」

あれらとは、両親のことである。

「そうだ。おまけに、今回の影鬼はいつもより強大で邪悪ときている。俺もちょっとヤバかった」

「天災サイズだもんね…あーあ…」

第三者のようにため息交じりの言葉を放つと同時に、魄は影鬼の姿を小さく発見して気を引き締めた。彼女の体の状態により、鷹尾も敵が近い事を感じ取り、この時点で詠唱を始める。

 

「負に誘われし混沌の渦から舞い降りた鬼よ。鬼(き)の形は移ろい揺らぎ形にはあらず。鬼(き)の生業、意味、全てが現(うつつ)にあらず夢である。連鎖の鎖を断ち切らんが言霊。現世への繋ぎを断ち切らんが術語……」

 

風が強くて息苦しいが、小声でも十分威力は変わらない。魄は一度だけ息を吐き出して、マラソンのラストスパート如く、一気に影鬼の背後についた。

『ギギギ!?』

驚いたように目をこちらへ向ける影鬼に対し、鷹尾は淡々と詠唱を唱える。

 

「その体が風に戻り、その体が土に還り、その体が火に消え果て、その体が水で清められんまで…不浄に生まれし邪を食す者を呪によりこの地に縛り付けん…」

 

「投げるよ!」

掛け声と同時に魄はぽいっと鷹尾を空中に、やや前方斜め上方向に投げ飛ばす。鷹尾は物凄い早さで空中に投げ出されたが、悲鳴の一つも上げることなく、木々が生い茂る森を冷静に眺めながら、影鬼を視界に捕らえる。

魄は一時的に更に加速し、前方へ低くジャンプした。影鬼の足を水面蹴りで地面から払いのける。影鬼は前につんのめる形になり、一瞬空中に浮く形になった。それのタイミングに合わせて、鷹尾は発動させる。

 

「縛檎(ばくきん)!!」

 

ズンと一瞬だけ重力が変化したような、なんともいえない空間が一塊となり影鬼を襲う。

『ギギッギギ!!!』

かなきり声に近い音を口から発しつつ、背中から体全体に見えない岩でも押し付けられているように、地面にドズと音を立てて倒れ、体を埋める。

「よい、しょっと」

魄は落下してくる鷹尾を、木を使ってジャンプしながら無事にキャッチし、一度回転させて両足から地面に着地する。地面が少しへこみ、砂煙があがる。やはり、お姫様抱っこは変わらない。一応無事か確認する意味もあって、魄は鷹尾の顔を覗き込む。

「上手く言ったみたいね」

鷹尾は少しだけ顔を青ざめさせながらため息を吐いた。

「そーだが……あ゛ー。これはきついなぁ…」

流石の彼も、空中に投げ出された時は怖かったようだ。それもそうだろうと魄は頷く。鷹尾は普通の人間だ。あの高度で地面にぶつかれば即死になる。恐怖を感じない人など居ない。

魄は鷹尾を地面に下ろす。彼はすぐに影鬼に向かった。影鬼は少し体をピクピクさせているが、時間をおかずに消えるだろう。後は自然に解けて『なにも無かった』ことになるのだ。これで終了になる。

魄も鷹尾の隣に立って、疲れたように大きく息を吸って、吐いた。連続の交戦で、流石の彼女もやや疲れ始めてしまったようだ。

「ともかく、被害が少なくてよかったね」

「ああ、そうだな」

これで元凶はひと段落ついた…と、二人が思った瞬間。

「……ぇ!?」

魄はきな臭い匂いを感じ取り、体中で警戒をし始めた。匂いは火の煤と……血の匂いが含まれている。そして、先ほどまで完全に消えていた邪気が、先ほどとは比べ物にならないくらい巨大に感じる。その方向は…この先にある…村だ。

「タカ!!村の方角に邪気がある!それも、こいつよりも数倍以上強い!!」

彼女の切羽詰った表情に、鷹尾の顔色も変わる。

「なに!?……なぜ…!?……まさか…!!」

言いつつ、鷹尾は封印した鬼を見下ろした。そして気づいたように舌打ちをする。

「そうか!!こいつ、巨大な妖鬼だったんだ!あいつ、自分の体を二つに分けたな!!魄!いけるか!?」

「正直、そろそろ休憩欲しいけど……そんなこと言ってる場合じゃないわね…」

魄は言うとすぐに鷹尾を抱き上げ、また走り出した。風の如く走ると、朝焼けに混じって細い黒煙が見え始める。それも一つや二つではなく、多数に…。まるで工場へ向かっているような錯覚が起こる。

山林を抜けると崖上へと出た。そこから村が一望できる。田畑があり、のどかな風景が広がる。現代風の建物が軒並みに建てられ、一部密集して、そこが崩壊し、黒煙を上げていた。点々と逃げ惑う人々がアスファルト道路を駆け下りている。その表情は恐怖に満ちていた。

そこまで確認してどっちかのため息が漏れる。

朝日が山の頂きから徐々に現れて、顔に直射日光が射し始める。魄も鷹尾もやけにげんなりした表情がくっきりと浮かび上がった。

「行こっか…」

「ああ」

ザっと土煙を上げながら、魄は崖をそのまま下っていった。

 

村は思ったよりも被害はなさそうだと、パッと見てそう思える。原因不明の火災により、民家が数件燃え広がり始め、消火に当たる消防士が活躍している。消火が終われば、火事になった民家には申し訳ないが、ある意味一段落付ける、と誰の顔にもそのような感情の動きが見て取れる。そんな中、魄と鷹尾は人並みを掻い潜って辺りをキョロキョロ見回している。魄は何かあってはいけないと、鬼の姿のままになっているが、この混乱の中、誰も気に留めていないようだ。もし、仮に呼び止められても、彼女は無視して先を急ぐであろう。立ち話をする時間すら惜しい。

二人の目には物凄い量の邪気や負の念が飛び交って、一つに集まっていく姿がはっきりと見て取れる。それを追っていくと

「チ。やっぱりここか」

鷹尾は嫌そうに毒づく。どうやら邪気の中心はこの大きな家のようだ。

「ここが分家さん家?」

「ああ、ここからあの畑までの土地がそう。全く、面倒なことになったもんだ」

密集地でなく、少し離れた場所に一件あるのでとてもよく目立つ。排他的というよりも、それだけ土地が広いと言った方が正しいだろう。つくりは古いが伝統がありそうな家屋で、庭や家自身がかなり広い。敷地坪はこの辺りで一番大きいだろう。それに、今は邪気も周りと比べて大変大きく、家全体を、土地全体を覆っているようだ。その責か、邪気の溜まりから少し離れた場所に数人が臥せっていた。

「あ!誰かたくさん倒れてる」

人並み歩行になっていた魄は少しだけスピードを速める。鷹尾は少し遅れて到着した。

「うーん。気絶してるね。知ってる?この人…」

ごろんと仰向けにさせると、中年のおじさんの顔がよく見える。白目で半開き、生きてはいるが、よほど怖い思いをしたのだろうか…顔が恐怖に引きつっていた。

「ああ、切林詩摘(しつ)さん。今のところ、切林一族の長ってやつだな」

「ふぅん。話聞く?」

「いいや、別にいい。それよりも…」

ざっと周りを見渡す。倒れている人は老若男女計、7人。老人二人に年配女性一人、年配男性三人と小さな子供が一人。全員うつ伏せだが、多分、詩摘と同じような表情で気を失っていると仮定できる。死んでいないなら放っておいてもよさそうだ。

「やっぱ、刻紅さんいないなぁ…」

困ったように頭を振りながら、渦巻く邪気まみれの家屋を見やった。魄もつられて見やる。今の体力ではあまり向かいたくない場所だ。だが…

「でも、いかなきゃ、なんないんでしょ〜…ねぇ…」

困ったように鷹尾を見ると、彼も嫌そうだが、力強く頷いた。

それを見て肩をすくめる。魄がしょうがない…と諦めたセリフを吐こうとして・・・・・

 

「あら…そこに居るのは鷹尾君じゃないですか?」

 

一際、大きな声が響いた。とても女性らしい声をした女が、家屋から何事もなく出てきた。やせ気味だが、すらっとした背の高い女性で、ロングスカートを着ている。漆黒の髪が腰くらい長く、とても艶やかだ。雪菜によく似た顔つきだが、こちらのほうがやや儚そうな印象を受ける20代後半の女性。

「刻紅さん…」

鷹尾が嫌そうに顔を歪める。過去に何かあったのか、聞いてみたい衝動が魄に起こったが、それは場違いだと思い直した。彼女、刻紅を見ていると言い知れぬ不安が湧き上がってくる。落ち着かない。まるで嵐の前の静けさを感じさせて全身がぴりぴりする。

「お久しぶりですね。お元気でしたか?」

「ええ、それなりに。で、刻紅さんはどうですか?…一体何があったんです?家族の方、倒れているんですけどねぇ」

丁寧なようで丁寧でない鷹尾の口調を完全に無視して、刻紅は魄に視線を向けた。一瞬、羨望の眼差しが浮かぶが、すぐに消える。

「こんにちは。私は知ってるけど、こうして会うのは初めてよね。……魄ちゃん」

「あー…そうですね…。初めまして、と言うべきですよね。私は貴女を知らないんですから…どうして刻紅さんは私を知ってるんです?」

「一度、本家に行った時に……そうね。あれは確か幼稚園の入学前だったかしら?玄関に入っていく姿を見たの。人の姿をしていたけど、私にはすぐ鬼だって気づいたわ…。でも、アナタの主はそこにいる鷹尾君だったし…、その時から決まっていたことだったから…私は声がかけられなかったの」

とても、淡々にしゃべる。まるで人形と話しているような感覚がする。

「私の妹、ご存知よね?鷹尾君に挑戦してくるって言って出て行ったから…魁を連れて…、羨ましかったわ。あの子は術者の力を持っているから使役できる。でも、私はできないの。魁はあの子の物…」

本当に、淡々としゃべる。感情が何もない、読み取れない。

その不気味さから、魄は警戒を強め、鷹尾はいつでも術を発動できるよう準備していた。それほど彼女の様子は普通ではない。

確実に、憑かれている。

刻紅はふっと魄に視線を向け、消え逝く亡霊のような薄っぺらい笑みを浮かべた。

「だから…使役が、…鬼が欲しいわ…鷹尾君……私に魄ちゃんを頂戴!!」

高々に、悲鳴のように、声が轟いた。同時に、魄に向かってくる影がある。

「魄!それを片付けろ!」

「了か……え!?」

いつものように攻撃をしようとする魄が咄嗟に躊躇した。その隙に、影は魄の懐に入り込み、みぞおちに拳をねじ込ませた。

「ぐが!!!」

防御が間に合わず、魄は膝を折り曲げその場に蹲った。鷹尾は驚きつつも魄の鈍さに叱咤しようとするが、影を見て彼も言葉を失う。影は、魁の姿をしていた。ほんの少し色が薄れたような、擦れたような姿だが、間違いなく魁だった。

「な!?これは…」

驚く鷹尾に刻紅は高笑いをしながら魁、もとい、影鬼を呼び戻す。彼女は愛しそうに影鬼の腕に両腕を絡ませると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「どう!どう!!これは魁よ!私の使役になった、魁なのよ!!私だけの魁!私だけの…」

「姿まで、変えられるようになったのか?」

唖然とする鷹尾を見て、影鬼は嘲るように目を細めた。